自分のものだと思い込んでいる価値観が
自分らしく生きる事のジャマをする
価値観とは自分のあり方
どういう状態であれば心地いいのか
どんな生き方がしたいのか
自分にとって土台の部分で
人生の判断基準にもなる大事なもの
意識したことが無くて
言語化するのが難しかったりしますが
誰でも必ず持っているもの
自分の価値観なんだから
当然、”自分のもの”を持って生きてると思いますが
これが意外とそうじゃない
親であったり世の中の常識的なものが無意識に刷り込まれてる場合がめちゃくちゃ多いんです
その自分のものだと思い込んでいる価値観が
自分らしく生きる事のジャマをする
特に親から受けた影響は想像以上に大きくて
自分っていう存在の境目を分からなくしてしまいます
みんながちゃんと自分の価値観で生きられるようになったら
きっと世界はもっと愛にあふれるに違いない
私が学校へ行けなかったワケ
私は学生時代の思い出があまりありません
中学はほとんど不登校で
それは小学校の3年頃から始まりました
とくにイジメを受けてたわけじゃない私が学校へ行きたくなかった事に関して、理由なんて無いと今まで思っていました
理由もなく行きたくなくなる事はないと
あるコーチのセッションを受け
その原因と向き合うきっかけをいただいたのですが
当時の自分を振り返って見えてきたものは
”不安”という感情
その原因は間違いなく父である事が分かりました
突然聞こえる怒鳴り声や物が壊れる騒音
幼かった当時それは恐ろしくて
父は恐怖の対象でしかありませんでした
そのいつ訪れるか分からない恐怖に対する不安を和らげてくれたのが母の存在
安心出来る母のそばにいたかったから
だから学校へ行けなくなったんだと
初めて自分の中で腑に落ちました
10代になってからは
母を悲しませる父を心から軽蔑していましたが
大人になるにつれ段々と受け入れられるようになったというか
父が100%悪かったわけじゃない事も理解出来ましたし、ぶっちゃけ当時の感情なんてどんどん忘れて過去の出来事になっていました
世の中の、いわゆる毒親というものではないし
ちゃんと愛のある人だって知ってます
現在の親子関係だって悪くはない
だから今受講している講座の課題が無ければたぶん
一生2人での時間なんて作らなかったと思いますw
先日、初めて父と2人でお茶してきました
どんな子供時代だったのか
両親(祖父母)がどんな人だったのか
本人の口から聞く話は新鮮で
父親という存在を越えて
1人の人として会話をしました
父の両親は
それはそれは働き者だったそうです
1年を通して休みはお盆とお正月のみ
昼は働きに出て、帰宅後に畑仕事をする
生きていくために必死で働いていた両親に育てられた父もまた、家族のために身を削って仕事をしてくれる働き者な人
だからこそ
いつも母に対して不満があったと
初めて当時の心境を聞きました
働きに出ない母に対して
専業主婦であるにも関わらず家の掃除や片付けが出来ない母に対して
いつも不満を抱えていたそうです
あの怒鳴り声や物に当たる行動は
そのガマンしきれなくなった不満を爆発させていたんだと知りました
…マジで飛ばっちりやん
これは心の内に留めw
お父さんのこと、コワかった
責めるのではなく
当時の私の心を代弁するように
父にそのまんまの気持ちを伝えました
「そうか…」
と絞り出すように言った後
母に対しても本当に申し訳ない事をしたと父の懺悔を聞いて
もうとっくに傷なんて治ってると思ってたところが癒えていくような感覚がありました
自分らしく、をジャマするもの
当時の父を苦しめたもの
それは父の持つ価値観です
正確には自分のものだと”思い込んでいる”価値観
自分らしさが何から出来ているのか
それは自分の持つ価値観です
どうありたいのか
どんな状態を心地いいと感じるのか
何を大切に生きているのか
例えば
本当は安定じゃなくて変化し続ける事が好きなのに
親から安定した人生を送るべきだと言われて育っていると
無意識にそうあるべきだと思い込んでしまう
だから同じ所に留まらず、
常に変化しながら生きてる人を見た時に
何だか心がザワついてしまう
私も何度も経験済みです
そうやって感情が、その価値観のズレに気付かせてくれるセンサーとなってるんですね
ほとんどの人が
親や外から無意識に刷り込まれた価値観を
自分のものだと思い込んで生きています
働き詰めだった自分の両親を見て
そうであるべきだと思って育った父
『お金は自分の身を削って稼ぐべきである』
『仕事は苦労が伴うべき』
『楽な事はするべきじゃない』
そんな価値観を持っていたのかもしれません
自分の持つ価値観って
自分の世界の常識であり
当たり前過ぎて相手もそうであるものだと思い込みます
だから自分の価値観とは違う行動をする
相手の姿を見て
無性にイライラする
何故かモヤモヤする
感情をザワつかせる現象によって
自分に知らせてくれます
そもそも
自分のものだと思ってる価値観は
本当は自分のものじゃないって事を
物心ついた時から目にしている親の姿やあり方は
そのまま自分にインストールされてしまいます
知らぬ間に親の価値観という名の”服”を着て
その服を自分のものだと思い込み
着たままずっと生きている
本当はゆっくり休みたい
でも休む事は悪だと思い込んでいて
そう出来ない自分がいる
その自分の”本当は望んでいるけど出来ないと思い込んでいる事”をやってのける相手に対して
心をザワつかせるような出来事は
価値観のズレに気付くまで何度も起こります
ちなみに私も
そんな父の姿を見て育ったので
『お金は自分の身を削って稼ぐべきである』
という価値観を持っている事に気付きましたし
それは私の望むものではないので
お金と向き合うような出来事が繰り返し訪れてまして絶賛なうですw
気付いたからと言って
ハイ、じゃあもう要らないってポイ出来るわけじゃありません
生きてきた年数だけの付き合いなんで
それなりに、まぁまぁしぶといw
でも思い通りに行かない事を何度も繰り返しながら自分の価値観に近付き
ちょっとずつ自分らしくいられるようになっていくんですね
父との対話を通してそんな事を思いました
学校へ行けなかった当時は
それなりに悩んではいましたが
でもだからと言ってそれが、将来に影響するわけじゃありません
親心として罪悪感的なものがあるようですが
子供の生きる力をナメてもらっちゃ困る♡
(や、もう大人なんですがw)
私は今、人生史上サイコーに充実してますから
自分のものだと思い込んでいる価値観が
自分らしく生きる事のジャマをします
特に親から受けた影響は想像以上に大きく
気付くためには
どんなに小さい事でも日々自分の思いや感情をアウトプットする習慣をつける事
ノートに書き出す
信頼できる人に話す
やり方は何でも0K
そうする事で
自分の本音に気付きやすくなっていきます
そうやってみんなが
自分の価値観で生きられるようになったら
きっと世界はもっと愛にあふれるに違いない
今日も最後までお読みいただきありがとうございました
それではまた